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中宮定子と清少納言 |
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中宮定子と清少納言
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定子と枕草子
枕草子による推し活 |
定子の周りがキラキラしている様子を書く。それが清少納言の推し活。
だから敵側だとしてもキラキラ代表で四納言の斉信、公任、行成は沢山登場するのです。 これみよがしに定子推しばっかりだと読者が引いちゃうから、季節もの、あるある話など関係ない話も織り交ぜて書いています。 当時の天皇含めて貴族たちがリアルタイムの枕草子を読み 「早く続き読みたい!」「定子様の部屋は楽しそうだな」と思ったりして、覗きにいったりするわけです。 それをまた文章にして、という好循環が生まれていたわけですね。 |
枕草子と定子 |
枕草子の中では完璧超人として書かれています。
誉めることしかない。 推しメンだからね、当たり前。 パパ道隆が亡くなって、定子サイドはどんどん苦しくなっていくんだけど、枕草子はそういった様子は一切書かれていない。 長徳の変で定子は実家に謹慎したり出家するんだけど、そういったマイナスのことは一切書かれていません。 推しだから。 キラキラしている面だけ書けばいいんだ。 それが枕草子のマインドでした。 実際、定子は道長からかなり嫌がらせを受けたりするんだけれど、そんな苦境でも内心はともあれ、明るく周囲を気遣い、これまでと変わらなく過ごすという、スーパー精神力の高さを見せつけたらしいので、相当強い人だったっぽいけどね。 悲壮感を出さず、いつも理想の上司、それが清少納言にとっての定子だったみたい。 長徳の変を境に貴族たちは定子から離れていくんで、枕草子の後半は登場人物のランクが下がっていくんだけど、定子の様子は気丈に明るい。そこがまた悲しいけど。 第3子を出産して定子は亡くなるんだけど、そこで清少納言も仕事を辞めて枕草子も書かなくなります。 推しの死によって推し活も終了、ということです。 定子のこと大好きだったんだろなー、と枕草子を読むと伝わってくる。 |
枕草子 |
基本は3部制。
季節話、あるある話、定子推し活話。 清少納言の旦那、出てくる。 武人だったらしく、和歌超苦手。 「歌とかオレわかんねーからさ、なんでもかんでも歌で送ってこられても困るわー」 明らかに性質が逆の夫婦。後に離婚。 お互いに無いものを求めたんだろうか。 旦那、斉信に絡まれて困ってワカメをムシャムシャ食ってごまかす。それを受けて清少納言が旦那に歌を送るけど、もちろん旦那は意味分からない。令和の我々も意味分からん。 |
枕草子2 |
それがメインではないけれど、ある段で紫式部の旦那をディスってる。
あるイベントに参加するときの話しで、そのイベントは神聖なものだから質素な服装で参加するべき。 ところが紫式部の旦那(恐らく結婚前)は 「質素な格好したってご利益なんてないでしょ、派手にいこう派手に!」 と(別の妻との)息子と2人、ド派手な格好でやってきた。 人々は「まじあれなんなん」とドン引きしていたけれど、紫式部旦那は気にせず参加していましたとさ。 ここまでがディスり。 一応フォローとしてか 後日、その旦那は良い位に就いたので、神様も格好なんて関係なく願いを聞き入れてくれたんだねー、って人々は納得しました。 と書いてある。 うーん、清少納言自身は納得いってない感じだけど。 この段を紫式部が見たのが、その旦那が亡くなったあとらしく「あのクソ女!」ってなって紫支部日記に逆に悪口を書くという有名な話に繋がっていったんではないかと、個人的には思っているし、歴史なんて細かいところは自由でいいじゃんと思うから、こういう繋がりで良いと思う。 |
百人一首
清原深養父 |
Rちゃんのために追記
「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ」36番 夏の夜は まだ宵の時間だと思いながら過ごしていると もう夜が明けてしまう 雲のどこに 月は宿をとって寝ているのだろうか 総じて「夏って夜が短いよね」という歌で、歌の意味も比較的分かりやすい一首。 推量三兄弟「むらんけん」は全部接続が違うんで苦手だったんだけど「らむ」の接続が終止形接続ってのを私はこれで覚えたおかげで一気に楽になった。 (紀友則の「花の散るらむ」も合わせて) ディープなのは「宵ながら」 ここを現代風に解釈しちゃうと混乱するので注意 現代語の「ながら」は以下の2つの意味を持つ ・「テレビを見ながら勉強する」 「2つの行動を同時に行う」効果をもつ副助詞 ・「機械製ながら手作りのような暖かさ」 「2つの矛盾した状態を指す」効果をもつ副助詞 この二者は本来は同じ意味なんだけど、ここではそこは置いておいて、下の使い方をするときに「名詞+ながら」の使い方をすることが多い、ということに注目していきたい。 「アメリカ人ながら日本史に詳しい」 「素人ながらプロ顔負けの活躍をした」など違和感がないはず。 「ながら=なのに」と変換できるイメージで。 現代感覚だと「まだ宵ながら」が「名詞+ながら」なので「まだ宵なのに」と読めてしまうってことなんだけど、それが間違いのもとになる。 宵は「宵の明星」から分かる通り、夜の早い時間。 「夜なのに」から「明けぬる」を夏の季節感に合わせて違和感なく補完すると「まだ日が明るい」が自然な形になる。 でも、そう解釈すると ・「まだ」の位置が矛盾している ・「明けぬる」の「ぬる」が完了の助動詞「ぬ」の連体形であろうと判断できるので「明けてしまった」と言う意味になることに矛盾している 古文は助動詞を攻めるのが定石なので 「明けぬるを」が「明けてしまった」という意味で固定することからスタート。 「明けてしまった」なら朝方のことだろう。 じゃあ「まだ宵ながら」が「まだ宵なのに」というのは苦しくなるから語を補完して「まだ宵と思っていたのに」のようにしてみると少し楽になる。 最終的に「2つの行動を同時に行う『ながら』」の使い方で 「まだ宵だと『思い』ながら『過ごしていると』」と私は訳しました。 全体の意味は平易なんだけど、ここは突き詰めるとヘビーですね。 |
清原元輔 |
「契りきな かたみに袖を絞りつつ
末の松山 波越さじとは」42番 約束したじゃん 二人でお互いに泣きながら 末の松山が波を絶対越さないように 二人の愛も絶対的なものだよねって (なのになんで別れるなんて言うのさグチグチグチグチ…) という元カレからのロミオメール 語の解釈で難しいところはなし。 「契る かたみ 袖を絞る つつ じ」は役立つ 末の松山=絶対的なものの比喩 の件はどの参考書にもある程度詳しく載っているはず。 有力候補の宮城県多賀城市に見に行ったことがあるんだけど、海岸線から2キロくらいの高台にあって「ぜってー越えねえええ」 って突っ込んだ思い出がある。 岩手だったかが「うちが本物の末の松山じゃ!」 という末の松山論争があったような。 この歌、誰かに頼まれて代筆した歌らしい。 「そんなに好きなら自分で作れよ!」 と言いたくなるけれど、これが平安スタンダード! |
儀同三司母 |
「わすれじの 行く末までは かたければ
けふ限りの いのちともがな」 『いつまでも忘れない』というあなたの言葉が遠い未来まで変わらないというのは難しいでしょう。 だから、そう言ってくれている今日、私は死んでしまいたいわ。 I realize it difficult that you forever say “l love you” , so l wanna die this moment when you’ve just sald “l love you “. 英語表現の方がニュアンスは分かりやすい気がする。 誤りは見逃しておいてください。 新古今和歌集の詞書には「中関白通ひ始めしころ」と書かれているので、夫の道隆と新婚ラブラブ期に送った歌になる。 上の句に重点を置くなら通い婚の不安定さを、下の句なら新婚ラブラブのノロケを感じることができると思う。 最終的にこの2人は定子、伊周、隆家を産むわけだけど最初から正妻格だったのだろうか? いろいろ思いを馳せるのも面白い。 |
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